まさかこんな写真を……とは思いますが、
Web上で転載されたい方はいちおうご一報くださいまし。
「こぜにおうのへや」リンクページにて紹介させていただきたいと思います。

2006.07.22〜07.23 新発田・村上

2006.07.22 新発田市
クーヴェルチュールの応援後、新発田へ。↑はホテル近くの諏訪神社。
右の大きな柱は御柱祭りで使われたもの。近くで見るとデカイ! という印象です。
諏訪神社のお祭りの様子はこちら
新発田藩主溝口家の菩提寺である宝光寺の山門。
1845年に建てられてほぼそのままの姿で残っているとのこと。
ワタクシが新発田についたのはもう夕方だったのでこの日はここまで。詳しくはこちら
このあたりにはお寺が密集しています。
で、宝光寺から少し歩いたところにある足軽長屋。こことお寺さんとの関係は翌日
新発田城の清掃をしてた方にたっぷりと説明をしていただきました。で、それによると、
いくさのときには、足軽長屋(上は鉄砲隊の長屋だったそう)の面々はまず寺へ行き、
手頃な大きさの墓石でもってバリケードのようなものを築き、そこで敵を食い止めて
鉄砲を浴びせる、寺は鐘の音の数で敵がどこにいるのかを知らせる、という段取りになっていたのだ、とのこと。
城下町の道は十字路がなく、T字路が組み合わさっているのは敵が一気に進入できないようにしている、
で、新発田の町並みはまだまだ城下町の町割がしっかり残っている、などなど。
確かに地図をちゃんと見て歩かないと、迷ってしまう感じ。足軽長屋について、詳しくはこちら
で、晩ゴハンは↑の登喜和鮨さんで。上生すしとノドグロの炙りすしなどなどたらふく食べて5,000円以内。
ここは強力にオススメ。また機会があれば、というより機会をつくって行きたいお店です。
2006.07.23 新発田市・その2
というわけで?? 2日目はいよいよ新発田城へ。
隠れ城マニア?? のワタクシとしては見れるところは全部見たい、なのですが、↑の三階櫓は
財務省&自衛隊との協定で見ることはできないとのこと。ちと残念です。で、新発田城について詳しくはこちら
↑は旧2の丸隅櫓を鉄砲櫓台に移築したもの。ここは中に入れるのですが、
内部構造の工夫についても詳しく説明をしていただきました。
で、その内部が↑(2階部分)。復元された辰巳櫓の階段は本当に急で登るのが困難でしたが
こちらの階段は緩やかで登りやすそう。ところが天井がものすごく低い位置にあり
兜を着け、殺気立って登ろうとするとアタマをぶつけるような構造。そこを槍で……というのが
防御上の工夫なのだそうで、今ドキの「住みやすいつくり」とは真逆をいくあたりがお城お城してて
ホンモノのお城マニア?? の方々にはタマラナイとのこと。
↑本丸表門。元々の橋は木製でいくさの時には橋を破壊するのですが、
明治になり陸軍が接収すると大砲を通すために石の橋になった、とのこと。
また、左右の出っ張りところには壁があり、敵が侵入してきたら横から弓矢や鉄砲を撃ったとのこと。
こういうところに攻めていくのって、ギャラがなんぼのものかわかりませんが、ゼヒモノで遠慮したいものです。
で、表門の内部。↑はいわゆる石落としです。開けてみたい! と思ったのですがガマンガマンです。
↑2つは復元された辰巳櫓。赤穂浪士の堀部安兵衛との因縁浅からぬ……なのですが
詳しくは↓をご覧くだされば、といことで。
↑2つは三階櫓・その2. 屋根の1番上にある3つの鯱は全国で唯一のものなんだそうです。
ただ、詳しく説明してくれた保存会?? の方によると、ここを見ただけで新発田城を見た気になってはイカンのだそうで
このあと、石垣についての説明を地面に絵を描きつつ……という展開に。
まさに目からウロコのお話で、とても面白く、別のお城を訪ねたときにも見方が変わりそうです。
てなわけで駅に向かう途中で立ち寄った蕗谷虹児記念館。
「ふきやこうじ」と読むこともできず、「誰??」状態でしたが、
♪〜金襴緞子の帯締めながら花嫁御寮は何故泣くのだろう〜♪というのは聞いたことがある! という感じ。
詳しくはこちら
07.23 村上市
JR村上駅前。「村上駅」の文字の一部が緑に塗られていて「何で??」と思ったら「JR」に。
「山田君、座布団1枚!」という感じ。
で、村上といえば中世から続くお城の跡があるのですが、歩くと結構時間がかかりそうなので今回はスルー。
山の頂上付近には石垣の跡が(↑の真ん中あたり)。
江戸時代にはこの上に天守閣があったのですが落雷のため炎上、その後再建されず。
建築資材やらを運ぶのが大変そう。いくらかかるのやら??
町の中を歩くと↑のような提灯?? 燈籠?? のようなものが。写真で見ると左側面(正面)には俳句が。
どういう風習なのか、よく知りませんが、なかなか夏らしくていい感じです。
おしゃぎり会館に展示してあった具足。江戸時代のもの。
本庄繁長所用兜。
天正16年(1588)の十五里原合戦で正面やや右に東禅寺右馬頭の太刀によってつけられた疵が残っています。
なんだかその場面を想像すると「((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル」な感じです。
で、おしゃぎり会館おとなりの若林家住宅。今でいう官舎のようなもので、
現在の収入にして一千数百万円の部長さんチ、という感じなのだとか。
で、縁側に下げられていた鮭。村上は世界で初めて鮭が生まれ故郷に帰ることを発見して
養殖?? に成功したんだそうで、さながら鮭の街。オナカの裂き方は武士に配慮したんだとか。
岩間家住宅(手前)、嵩岡家住宅(奥)。嵩岡家住宅の方は昭和40年頃まで実際に住んでたそう。
小和田家に所縁のある家ということでたいそうな盛り上がりぶりをテレビで見た記憶があります。
イヨボヤ会館のなかの鮭の稚魚。この稚魚が生まれ故郷に帰ってくることを発見。
世界初の養殖?? に成功したのが村上なんだそうで、今でも毎年小学生が稚魚を放す体験学習を。
↑↓の稚魚たちもいずれ放されて帰ってくるのかこないのか??
で、↑はエサを食べていっせいに泳ぎ始めたところ。壮観な眺めです。
↑は鮭の皮で作ったジャケット。猫まっしぐらになるのかどうか??
ウチの事務所のネコさんに見せてみたいところです。
あと、村上には↑のようなお寺さんも。知人に即身仏を取材し続けている方がいて
いろいろとお話を聞いてるのですが、ワタクシなどにはとてもとても……という世界。
その他、村上の神社仏閣カンケーはこちらから。