まさかこんな写真を……とは思いますが、
Web上で転載されたい方はいちおうご一報くださいまし。
「こぜにおうのへや」リンクページにて紹介させていただきたいと思います。

2007.06 仙台・白河

2007.06 仙台
朝ホテルの部屋にあった仙台市の観光案内をパラパラ。
そんなに時間がないし……で行こうと思ったのが大崎八幡宮。
地図を頼りにひたすら歩き、着いたと思ったら↑。98段だか100段だか?? 忘れました。
階段を登ると↑の建物が。何がすごいのかというと
日本で唯一残っている安土桃山時代の建造物。国宝です。
ワタクシが薀蓄を書き連ねたところで……なので詳しくはこちら
日光東照宮の権現作りのはしりというか原型なのだとか。
いかにも桃山時代という華やかさがまさに「伊達者」という印象です。
本堂に向かって左側にあった日時計。伊達の進取性を感じさせる?? 逸品。
↑の写真では肝心な日時計がどうなもんなのか、全然わからないのですが、
石の上に線と穴が開いているのは確認。
この神社の場所は今でも周りに高い建物がなく現在でも使えそう。
↑馬を描いた絵馬?? 説明書きはあったのですが、
帰ってからホームページをみれば載ってるだろう、と写真は撮らず。
その結果……全然わかりません。
とりあえず2人引きでイレコミがキツそうなのでパドックで推奨はできないかと。
大崎八幡宮の近く、来迎寺にある「モクリコクリの碑」のうちのコクリの碑(たぶん)。
表面には梵字が刻まれていたそうなのですが、病気に効くということでだいぶ小さくなったのだとか。
モクリ=蒙古、コクリ=高句麗とか説明があったと思うのですが
これも説明板の写真を撮らず、ナゾになってしまいました。
来迎寺からさらに歩いて広瀬川を渡ると↑の三居沢水力発電所に。
日本で初めての水力発電所、とのこと。詳しくはこちら
現在でも現役で活躍中です。
建物の右側に電気百年館という面白そうな建物があったのですが
イベントがないため本日閉館……。バスで仙台駅まで戻りました。
2007.06 白河
オシゴトを兼ねてというか、趣味と実益を兼ねてやってきた白河。
まずはお約束の観光案内。白河の関や義経がらみの史跡、白河にはお城が2つあり、
そのほかにも南湖公園やらもりだくさん。
そして駅前には松尾芭蕉の像が。松尾芭蕉といえば奥の細道。
あと公儀隠密説なんてものも。
まず最初に行ったのは皇徳寺。小原庄助さんのお墓と
新撰組隊士の菊地央のお墓があります。
小原庄助さんのお墓の方は徳利に杯の形をしていて
杯が逆さまだったらワルダーだったのに、などと思ったり。
白河小峰城
というわけでやってまいりました白河小峰城。
戊辰戦争の白河口の戦いの攻防戦の舞台になり実戦を経験した城です。

白河の駅からもよく見えていかにも城下町な雰囲気。
お城よりも高い建物がごろごろしてたりすると興ざめなのですが、ここは雰囲気があります。
東北新幹線からも見ることができるそうなんですが、全然見えたことはないというか
大体寝てるもので……。
↑はかつての姿と今の地図を重ね合わせた図(太鼓門あたり)。
ワタクシがウロウロしたのはざっくり↑の堀=青い部分の内側なのですがそれでも広い広い。
三の丸あたりには「三郭四園」というお庭があったそうなんですが現在は宅地化。
先ほどの看板のところを抜けて入るとこんな感じ。手前は2の丸の芝生が広がっています。
中央下のでっかい木があるあたりが清水門でかつては櫓があったとのこと。
その後ろにそびえる感じの立派な石垣は白河小峰城の特徴のひとつで
落し積みという手法でつまれたとのこと。
この城の石の量は会津若松城の約2倍だそうで東北地方随一の石の城、
当然のことながら日本百名城のひとつです。
↑2枚は桜御門跡。現実にここで敵を防ぐ展開になるのは落城寸前、
城を枕に……で自害のための時間稼ぎの備えという感じでしょうか。
桜御門を抜けるとこんな感じ。左側の広いところは本丸御殿の跡。
有名どころでは松平定信などの歴代城主が政務をとった場所??
右側の細長い場所は多聞櫓があった場所。
いずれは再建されるのだとか。
最近いろいろなお城で往時の姿が再建されているようで
ワタクシ的にはとっても楽しみです。
桜御門を登って富士見櫓跡へ行く途中で撮った白河集古苑。
この地方を治めた結城家、阿部家の古文書や品々が展示されています。
富士見櫓跡。
富士山ぽい山が正面に見えます(山の名前が一覧になってたのですが写真撮らず)。
福島競馬の番組に吾妻小富士賞ってのがありますが……全然わかりません。
富士見櫓から雪見櫓へ行く道で下を見ると「白河バラ園」がこんな感じに。
6月が1番の見ごろでまさにビンゴだったのですが、時間がなく断念。
富士見櫓の北側?? の雪見櫓跡。
冬になったらこの正面がどんな景色になるのか
見たい気はしますが、ワタクシ的には冬は苦手というか
あんまり雪の経験がないもので……。
三重櫓のすぐ脇にあるおとめ桜。人柱の供養のために植えられたものでこれは2代目。
お父さんの「来るな来るな」の合図を「来い来い」だと思った結果、人柱になったという話も。
というわけでいよいよ三重櫓へ。……なのですが、内部の写真は全滅。
競馬仕様でフラッシュが光らないようにしたので、明かりが足りず。
ちなみに三重櫓を再建する際、戊辰戦争の激戦地だった松並稲荷山の杉材を使用。
製材するときに鉄砲の鉛玉がいくつか発見され、柱などに弾のあとを数か所見ることかできます。
で、三重櫓を出て前御門をくぐると↑のような眺め。
正規に登城するときは清水門からこっちを通ってくるのでは??
三重櫓の下から石落しを見上げたところ。内部の明かりが見えますが
ここから石や矢が飛んできます。
本丸を出て尾廻門の方へ。尾廻門の手前には梅林があったのだとか。
梅林は戦のときのおにぎりのために結構いろいろな城や庭園にあって
水戸の偕楽園の梅林もいくさのときの備えとして栽培。
が、偕楽園の梅干しは明治維新では官軍に押さえられたとのこと。
あとは岡山の後楽園の橋は刀が研げるように砥石でできているとか、
なんでもなさそうなところに戦いの備えが見られます。
尾廻門跡。いわゆる枡形というやつ??
このあたりはあんまり保存の手が入ってない感じで
荒城の月気分になれます。
尾廻門を出て北側から見た三重櫓。
北側から見た三重櫓。右側に見えるのはおとめ桜。
塀の△や□のところから鉄砲の玉が飛んできます。
会津門を出たところ。手前の建て物はバラ園のもの。
左奥に三重櫓の三階部分が見えます。
バラ園の入口あたりにある戊辰戦争の追悼碑。
なんだか今でも城を守って仁王立ちしているようにも見えます。